【瀬戸内市】上寺山餘慶寺(うえてらさんよけいじ)|お寺なのに神社がある?1270年続く神仏習合の古刹を参拝

『まいられぇ岡山』を楽しみ尽くす、岡山の寺社めぐりをお届けしている はなか です。
『まいられぇ岡山』って何? って方はこちら>>

まいられぇ岡山で餘慶寺のページを開いたとき、思わず見入ってしまいました。

ライトアップされた三重塔と鳥居が並ぶ夜の写真が、とにかく綺麗で。しかも4ページにわたって紹介されています。

これは行くしかない! と、かなり期待して向かいました。

あいにくライトアップは見られませんでしたが……それでも、期待を上回る素敵なお寺でした😊

いちばん心に残ったのは、神社とお寺が、壁で隔てられることもなく、すぐ隣り合って建っている景色です。

三重塔のすぐそばに鳥居が立っていて、お堂と社がごく自然に溶け合っている。

外国の方がイメージする「日本らしさ」が、目の前に広がっていました😳

実は上寺山餘慶寺には、神仏習合の形が今も色濃く残っています。

明治の神仏分離を経た今では珍しくなった風景が、ここには今も残されていました。

山の上に広がる静かな境内を歩きながら、三重塔のマンダラ巡りや薬師堂、そして神仏習合の歴史を感じてきました。

今回はこんな疑問にお答えします。

✅お寺なのに、どうして境内に神社があるの?
✅三重塔の「マンダラ巡り」ってどうやるの?
✅なぜ今も神仏習合の姿が残っているの?
✅餘慶寺で絶対に見ておきたい見どころは?


📘 まいられぇ岡山 掲載ページ:P14


📍 境内マップ

境内マップ

山内には観音堂(本堂)・薬師堂・三重塔・鐘楼・日吉社・愛宕社・弁天社、そして豊原北島神社や六院が点在しています。

標高60メートルほどの小高い山の上にあり、地元では「上寺(うえてら)」の愛称で親しまれているそうです。この「上寺山」という名前には、ちょっとした物語があるのですが、それは後ほど😊

🙏 ご本尊とご利益

ご本尊

千手観世音菩薩(秘仏)

千手観世音菩薩イメージ

上寺山餘慶寺のご本尊・千手観世音菩薩は、東を向いて祀られることから「東向き観音」と呼ばれます。
江戸時代には病に苦しむ岡山藩主の夢に現れ、祈ると快癒したという霊験譚が伝わり、今も篤い信仰を集めています。

境内には、中国・普陀山との友好を記念して建立された観音像も。ご本尊にあわせ東向きに祀られています。

※千手観世音菩薩イメージ図

ご利益

開運招福、厄除け、病気平癒、合格祈願、諸願成就 など

✨ 餘慶寺の見どころ

① 三重塔と体験型の「マンダラ巡り」

三重塔とマンダラ巡り

境内でまず目を引くのが、堂々とした三重塔です。

餘慶寺を訪れたら、ぜひ体験してみたいのが「両界マンダラ三重塔巡り」。ただ眺めるだけではなく、自ら歩いて祈る体験型の参拝です。

  • 大日如来のご加護をいただくため、三重塔を時計回りに3周する
  • 東西南北それぞれの蓮台石に立って合掌礼拝する
  • 「オンパサラダトバン」と唱えて所願成就を祈る

蓮台石に立ち、自分の中にある仏さまを見つめる気持ちで手を合わせるのが大切なのだそうです。

実際に三周してみると、聞こえてくるのは風に揺れる木々の音と鳥の声だけ。蓮台石の上で手を合わせていると、不思議と気持ちが落ち着いていきました。

このマンダラ巡りは、餘慶寺と近くの金陵山西大寺の二ヵ寺をめぐって完成するそうです。お参りを済ませた証として、納経所で特別御朱印(500円)をいただけます。

② お寺の中の神社 豊原北島神社

豊原北島神社

餘慶寺を語るうえで欠かせないのが、境内に隣接する豊原北島神社です。

ご祭神は豊原北島神(比咩大神)で、応神天皇・神功皇后もあわせてお祀りされています。

創建は飛鳥時代の634年と伝わる古社です。

この地を開いた渡来人が、山上の大岩「鎮座石」に比咩大神をお祀りしたことが始まりとされています。「豊原」はこの地の荘園名、「北島」は吉井川の川口にあった島であったことを表しているそうです。

源平の時代には、武将・佐々木盛綱(ささき もりつな)が、この神社に大鎧(色々威(いろいろおどし)大鎧・国重文)などを奉納したと伝わります。

佐々木盛綱は、源平合戦で活躍した源氏方の武将。岡山の児島(現在の倉敷市藤戸)であった「藤戸の戦い」で、馬に乗って海を渡り、先陣を切ったという逸話で知られる人物です。

その藤戸の戦いの勝利を願って、鎧を納めたのだそうです。

廃仏毀釈にあわず、神仏習合であり続けた

そもそも、どうして餘慶寺では今も神社とお寺が寄り添っているのでしょうか。

明治政府が神仏分離を打ち出したとき、全国では多くの寺社が切り離され、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって姿を消した仏堂や仏像も少なくありませんでした。

ところが餘慶寺は、その約200年も前に手を打っていたんです。

江戸時代初期、備前岡山藩初代藩主・池田光政公による寺院整理が行われ、このとき餘慶寺と豊原北島神社はすでにはっきりと区別されていたそうです。寛文6(1666)年には、餘慶寺の本乗院・成合(なりあい)氏が神社の祠官になったとも伝わります。

早い段階で整理されていたおかげで、明治の廃仏毀釈による強引な切り離しの影響を大きく受けず、神仏習合の姿がそのまま今に残ったとされています。

岡山で神仏習合の寺社といえば最上稲荷が有名ですが、餘慶寺はまた違った趣がありました。鳥居と三重塔が並んで建つ光景は、どこか不思議でありながら違和感がなく、長い年月をかけて育まれてきた歴史をそのまま映しているようです。

観光地としての華やかさとは異なる、静かで穏やかな空気に包まれながら、歴史の教科書だけでは分からない神仏習合の名残を感じることができました😊

③ 眼病平癒の信仰を集めた薬師堂

薬師堂

三重塔の近くに建つのが薬師堂です。

享保19年(1734年)の再建棟札が残る建物で、山内の他のお堂と比べるとどこか素朴な印象を受けました。正面の扁額には「医王窟」とあります。

ご本尊は薬師如来。古くから眼病平癒をはじめ病気平癒の信仰を集め、江戸時代には「朝観音、夕薬師」と呼ばれるほど多くの参拝者でにぎわったそうです。

お堂の裏側には収蔵庫があり、薬師如来像(国重文)・聖観音像(国重文)・十一面観音像(県重文)などが収蔵されているとのことでした。

🌿 その他の見どころ

駐車場からの眺め 千町平野

千町平野

山の上のお堂のまわりは木々に囲まれているので、意外と遠くまでは見渡せません。

でも、入口の駐車場あたりまで来ると、ぱっと視界が開けました。

眼下に広がるのは、岡山平野の東部にあたる「千町平野(せんちょうへいや)」。吉井川の左岸に開けた、邑久町の大部分を含む平野です。

実はこの一帯、はるか昔は海だったそうです。吉井川が運んだ土砂で少しずつ陸地になり、今の肥沃な田園地帯になったとされています。長い時間をかけてできた景色だと思うと、なんだか感慨深いですね🌿

恵亮院へ下る道から門越しに見える千町平野

恵亮院へ下る道から門越しに見える千町平野も、隠れた絶景スポットでした😊

弁天社と穴太積みの池

弁天社

池の中央の社には、水の女神・弁才天がお祀りされています。学問や芸術、商売繁盛の神としても信仰され、昔から「歳の数だけ社の周りを廻るとおかげがある」といわれてお参りされてきたそうです。

池の周りの石垣は、自然石を積み上げる「穴太積み(あのうづみ)」。比叡山のふもと・坂本に伝わる耐久性の高い技法で、日本各地のお城にも見られるそうです。何気ない石垣にも歴史が詰まっているんですね。

そしてこの穴太積み、なんと石の中にハート型のものが隠れているのだとか。せっかくなので探してみたら……それっぽい石は見つけました。ただ、これが正解なのかは自信ありません(笑)。気になる方は、ぜひご自身の目で探してみてください😊

日吉社と愛宕社

日吉社と愛宕社

日吉社は、比叡山を守る鎮守社になぞらえて、餘慶寺の鎮守としてお祀りされています。愛宕社は火難除け・勝利の神様で、本地仏として「勝軍地蔵」がお祀りされ、毎年7月23日に開扉・法要がつとめられるそうです。

力石

力石

四拾貫(約150kg)もある力石です。幕末の安政5(1858)年、西大寺門前の寺元三郎氏が、高下駄をはき傘をさして片手でかつぎ上げて奉納したと伝わります😳 相撲では「二ツ石」の四股名で活躍された方だそうです。挑戦してみたくなりますね(私は…見るだけにしました 笑)。

一文字写経

一文字写経

一文字200円で体験できる写経です。好きな一文字を選んで石に写し、書いたら手本の字を×印で消すというもの。お経を書き写すことは法華経の中でも特に功徳があると説かれているそうで、旅の記念にもおすすめです。

📋 参拝メモ

御朱印とここだけの納経帳

御朱印とここだけの納経帳

納経所の受付は8時~17時。

御朱印の種類がとても豊富でした。中国三十三観音・百八観音・山陽花の寺・薬師如来・地蔵尊などの霊場御朱印のほか、切り絵御朱印、三重塔のクリア朱印、クリスタル御朱印なども。

オリジナルの納経帳(御朱印帳)も販売されていて、なかには「まいられぇ岡山」の刻印が入った納経帳もありました。まいられぇ巡りの記念にぴったりです😊

御朱印

今回いただいたのは、まず、餘慶寺と西大寺をめぐる「両界マンダラ三重塔巡り」でいただける御朱印。注目スポット①でお話しした、二ヵ寺で完成するあの御朱印です。

そしてもうひとつが、「三重塔のクリア朱印」。透明な台紙に三重塔と桜があしらわれていて、光にかざすととても綺麗でした😊

豊原北島神社の御朱印は、納経所ではなく境内の拝殿でいただけます。書置きで、初穂料は300円です。

おみくじガチャ

おみくじガチャ

七福神おみくじガチャなど、ガチャ式のおみくじ(各500円)もありました😊

まいられぇスタンプ

まいられぇスタンプ

納経所でまいられぇ岡山のセルフ式スタンプを押せます。

公式Instagram

公式Instagram

公式インスタ(@ueterayama_yokeiji)をフォローすると、お楽しみガラポンが引ける案内がありました。フォロー画面をスタッフさんに見せてくださいとのことです。

所要時間

餘慶寺と豊原北島神社で約1時間
6院すべてじっくり参拝すると約2時間はかかります

駐車場

無料 約30台

餘慶寺はこんな人におすすめ

  • 神社とお寺を一度に参拝したい人
  • 三重塔や古建築が好きな人
  • 静かな山寺を歩きたい人
  • 歴史や神仏習合に興味がある人
  • まいられぇ岡山で寺社巡りをしている人

🏯 餘慶寺の歴史

餘慶寺は749(天平勝宝元)年に報恩大師が開いたと伝わる古刹です。ご本尊は千手観世音菩薩で、33年に1度だけ開帳される秘仏なのだそうです(直近の開帳は2012年でした)。

開山当初は日待山日輪寺と称し、備前四十八ヶ寺のひとつでした。平安時代には慈覚大師円仁によって再興されて「本覚寺」と寺号を改め、その後は近衛天皇の勅願所になったとも伝わります。

12世紀の源平の争乱では、支院や三重塔を焼失したとされています。現在の「上寺山餘慶寺」という寺号になった時期ははっきりせず、室町時代には今の名前が古文書に出てくるそうです。

江戸時代には岡山藩主・池田氏の庇護を受けて栄えました。

また、餘慶寺は中国観音霊場 第2番札所、山陽花の寺二十四か寺 第16番、百八観音霊場 第3番という、3つの霊場の札所を兼ねています。

「上寺山」という名前の由来

境内図のところで触れた「上寺山」という名前。実はもともと、餘慶寺は山のふもとにあり「下寺(したでら)」と呼ばれていたそうです。

ところが戦乱の時代、戦火を避けるためにお堂を山の上へ移すことになりました。ふもとの「下寺」と対比して山上のお寺が「上寺(うえてら)」と呼ばれるようになり、その通称がいつしか正式な山号になったと伝わります。

一山一寺多院制という珍しいかたち

ひとつの山の中に本堂や三重塔などのお堂が並び、それを支える複数の僧院(塔頭)が今も残っているのが餘慶寺の特色です。かつての7院2坊から、現在は恵亮院・本乗院・吉祥院・定光院・明王院・圓乗院の6院を残し、中国地方でも珍しい伽藍構成※を見ることができます。
 ※仏教寺院の敷地内に配置される本堂、塔、門などの主要な建物の配置形式や組み合わせ

🚃🚗 餘慶寺へのアクセス

🚃 電車

JR赤穂線の大富(おおとみ)駅が最寄りです。駅からは車(タクシー)でおよそ10分。

歩いて向かうこともできますが、山の上のお寺なので、駅からも車を使うのがおすすめです。

🚗 車

住所:瀬戸内市邑久町北島1187

TEL:086-942-0186

岡山ブルーラインの西大寺ICから、車でおよそ10分です。

山の上にあるため、車でのアクセスが便利です。

おわりに

三重塔を巡り、薬師堂に手を合わせ、すぐ隣の豊原北島神社へ。

お寺と神社のあいだに壁はなく、まるで最初からひとつだったかのように、自然につながっていました。

明治の神仏分離を乗り越えて今に残ったこの景色は、岡山でもなかなか出会えないものだと思います。

結局ライトアップは見られなかったので、次こそはあの夜の三重塔を見に、また訪れたいなと思っています😊

岡山で歴史や神仏習合を感じられる寺社を訪ねたい方は、ぜひ上寺山餘慶寺を歩いてみてください🌿

あわせて読みたい

▼▼▼岡山の神仏習合の寺社といえばこちら▼▼▼

【岡山市】最上稲荷+奥の院|鳥居があるのにお寺?岡山で一番参拝者が集う“神仏習合”の不思議を歩く

コメント